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HIV感染者に対する歯科治療について

2020.08.09

未指定

皆様こんにちは。

本日は名古屋医療センター歯科口腔外科 宇佐美雄司先生らによる「HIV感染者に対する歯科治療のガイドブック」からお話します。

 

HIVHuman Immunodeficiency Virus)とは、RNAウイルスに属するヒト免疫不全ウイルスの一種で、HIVによる感染症が進行し免疫機能が著しく低下した状態を後天性免疫不全症候群つまり、AIDSAcquired Immunodeficiency Syndrome)と呼んでいます。

 

HIVに感染すると一過性の発熱やリンパ節の腫脹を呈することがありますが、急性感染期と呼ばれ、これら症状は自然に消退します。

体内ではHIV抗体がまだ十分産生されておらず、血液検査(スクリーニング検査)でも陰性となり、感染が判明しないため、Window Periodとも呼ばれるステージです。

やがて、体内に抗体が産生されるようになると、検査による感染が判明できるようになりますが、これ以降は特別臨床症状のない無症候期に移行し、免疫能を持つCD4陽性Tリンパ球の数が3~10年の期間を経て徐々に減少するため、免疫力が低下し血中のウイルス量が増加します。

さらに著しく免疫能が低下した状態になるとAIDS指標疾患として「ニューモシスチス肺炎」などの日和見感染症、「カポジ肉腫」などの日和見腫瘍、「HIV消耗性症候群」がみられるようになりますが、23種類あるAIDS指標疾患のいずれかが発症することでAIDSと診断されます。

なお、免疫能低下に伴うHIVに関連する「口腔症状」として、「口腔カンジダ症」「舌毛様白板症」が発現する頻度が高いことも歯科医療従事者として念頭に入れておく必要があるようです。(図1)

AIDSで死亡する場合、著しい免疫能低下が招くそれらの日和見疾患の悪化が主な原因で、自然経過の場合、約2年で死に至ります。

HIVはヒトの細胞の中でも表面にCD4抗原を有するCD4陽性Tリンパ球やマクロファージにのみ接着して、図2のようにHIVの遺伝子が細胞内に侵入することで感染が成立します。

ですから、CD4抗原のない皮膚細胞からの感染の他、唾液、飛沫からの感染、蚊に刺されたことによる感染もなく、血液や精液を媒介にしてのみ感染するため、HIVの感染経路はほとんどが現在では性行為によるものとされています。

HIV同様、B型肝炎ウイルス(HBV)やC型肝炎ウイルス(HCV)も血液や体液を介して感染しますが、経皮的暴露時の疫学的研究の結果では、治療を受けていないHIV感染者からの感染力を基準とした場合、HBVHCV : HIV=100:10:1と感染力に大きな差があるようです。

またHIVはウイルスの構造上、消毒液や熱による不活性化されやすく、HIVは日常生活では感染しにくいとされているため、臨床の現場では、特別な感染対策の必要はなく、標準的な予防対策で対応できるようです。

AIDSが報告されて十数年間は、続発する少しでも日和見疾患を抑制することが治療の主目的でしたが、AIDSを発症すると免疫能低下が起こるため、極めて予後が不良でしたが、約20年前に出た作用機序の異なる複数の抗レトロウイルス薬(抗HIV薬)を併用するHAARTHighlyActive Anti-retroviral Therapy)、現在ではARTと呼ばれる治療によりほとんどのHIV感染者における血中ウイルス量を検出限界未満にまでコントロールすることができるようになったため、HIV感染症の予後が大きく改善することになりました。

AIDSになったHIV感染者でも免疫能の回復が可能となり、健康なAIDS患者の存在が普通となった今日、HIVは死なない病気となり、糖尿病や高血圧症のような慢性疾患とみなされるようになり、HIV感染症の治療は近年、最も進歩した医学分野とされています。

感染の経路や様式を理解すれば、歯科治療時にHIVのための特別な感染対策は必要ないことに気づきます。

歯科治療における標準予防策(スタンダードプレコーション)の概念とは、血液や体液が感染源になることを想定して全ての患者さんに対して対応しなくてはならないということになるようです。

HIVに限ったことではありませんが、具体的な標準予防策として、血液や唾液の付着した器具の消毒、滅菌、適切な廃棄を遵守すること、直接的な汚染防止のためグローブの使用、保護用眼鏡(ゴーグル)、ファイスガード、マスクの着用などが挙げられます。

 

HIV感染者においても齲蝕や歯周疾患などの歯科治療は普通に受けられますので、歯科治療における医療従事者の注意事項のポイントを列記してみました。

1.個人情報の保護

 HIV感染者に対しては診察室での会話の他、「免疫不全症」として身体障碍者手帳を持参して来院するため受付での配慮も必要。

2.診療情報提供書の確認

適切な歯科治療を行うため、患者さんが持参する受療されている病院からのARTの有無、CD4陽性Tリンパ球数、血中ウイルス量などのデータが記載されている診療情報提供書の確認が有効です。

 診療情報提供書を持参してない場合、どこの医療機関で受療されているのかなど、問診にて情報を得ることで診療は可能となります。

 例えば、血中ウイルス量が低くない状況でも、感染リスクのない非観血処置であれば問題はないですが、治療状況が不明な場合には応急処置に留めて、医療機関に診療情報提供書の提示を求めるという判断も必要になるようです。

3.血液データの確認(表1‐1、2は「名古屋医療センターの報告書」抜粋)

 CD4陽性Tリンパ球数およびCD/CD8比

健常人のCD4陽性Tリンパ球数:正常域700~1500lで表11に示したようにHIV感染症が進行すると著しい減少がみられ免疫力の低下を示します。

 Tリンパ球でもCD8陽性Tリンパ球数は減少しないため、両リンパ球数(CD/CD8)比も低下します。(CD4、CD8、CD/CD8と記載されている場合もあります。)

・血中ウイルス量(HIV RNA量)

 ARTを受けていないもしくは、受けて間もないHIV感染者の血中ウイルス量(HIV RNA量)は感染力を持つ一部のウイルスのために何万コピー/mlという高い値を示しています。

 ARTが軌道に乗ると血中ウイルス量は測定限界未満になるため、HIV感染者の歯科治療は健常者と変わらないとうことになります。

4.薬の飲み合わせ(薬の相互作用)

20種類以上ある抗HIV薬ですが、歯科でよく処方されるペニシリン系やセフエム系抗生剤との相互作用には問題はなく、NSAIDsにも使用できますが、注意すべき薬剤は以下のとおりです。

・クラスロマイシン

長時間の使用で中れば大きな問題にはならないようですが、いくつかの抗HIV薬において、クラスロマイシンは代謝が遅くなるとされています。

・ミダソラム

 多くの抗HIV薬との併用は禁忌とされています。本剤を用いて静脈内鎮静方は不適切とされています。

 

世界中の疫学データによると医療全体における針刺し事故などの経皮的暴露によるHIV感染の危険性はわずか0.3%程度とされています。

また2000年以降、医療暴露でHIV感染が生じた事例は報告されておらず、母子感染のデータでは母体の血中ウイルス量が500コピー/ml未満でHIV感染は成立しなかったようです。

ARTを受けているHIV感染者の血中ウイルス量はほとんどが500コピー/ml以下と測定限界未満であることは既にお伝えしましたが、しかるべき医療機関で受療しているHIVを申告した患者さんからの感染リスクは極めて低いことを示しています。

また、鋭利な器具が多いものの太い採血針などは使用しない歯科治療においては暴露する血液の量が極めて少ないため、経皮的暴露によるHIV感染の可能性は皆無に近いとされていますが、それでも暴露が生じた場合、予防薬内服という選択方法があります。

その使用については暴露の状況などにより異なりますが、最終的には自己判断となります。

予防薬を内服すると判断したら、可及的速やかに内服を試みるべきです。

もし判断に迷いが生じたら、まず1回目は内服しながら、冷静になる時間を持ちながら、専門家の意見を求めるのも一考です。

HIV感染者と診断されていない患者さんからの暴露については予防薬の内服は推奨されていないということですが、現在、HIV感染症の予防薬は「ツルバダ」、「アイセントレス」だそうで、エイズ治療拠点病院などに配備されている都道府県は多いそうです。

 

以上のことから、HIV感染者における歯科治療はすべての歯科医院で受け入れるべきだということになり、HIV感染者の予後の改善により、歯科治療の需要の急増につながることになります。

現実的対策としてエイズ治療拠点病院などと連携し、HIV感染者の受け入れ可能な歯科医院の確保が必要となるため、いくつかの都道府県でネットワークの構築が行われて参りました。

このネットワークの構築により、偏見にとらわれずに歯科診療を行う姿勢を明確にすることで、歯科医療全体の社会的地位の確保につながり、予防薬配備の観点からも、準備しやすいという利点があります。

歯科医院におけるスタッフの心理的負担を考えると、歯科医院で治療するHIV感染者は基本的に血中ウイルス量がコントロールされている方が対象となります。

 

本日は宇佐美雄司先生らによるHIV感染症の基本知識から治療、感染対策、経皮的暴露時の対応、さらに歯科医療におけるネットワークの構築につきまして大変興味深いお話をさせて頂きました。

コロナウイルス感染症が落ち着かない日々が続きますが、今一度、歯科医療従事者として、HIV感染症を含む感染対策について再考する良いきっかけになればと考えています。 

HIV感染者に対する歯科治療について
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